猪方小川塚古墳

猪方小川塚古墳は、現在狛江古墳群内で唯一の横穴式石室が発見された古墳です。

狛江市猪方小川塚古墳

2020年4月に綺麗に整備され、「猪方小川塚古墳公園」としてオープンしました。

狛江市猪方小川塚古墳
狛江市猪方小川塚古墳

スタバ感のある(笑)オシャレな建屋へは当然立ち入ることはできませんが、ガラス張りのため、しっかりと横穴式石室を見学することはできます。
ここまで石室を見学できるのは現在の狛江古墳群ではここだけです!

狛江市猪方小川塚古墳

墳丘の横に上がり、側面からも見学することができます。

狛江市猪方小川塚古墳

看板の説明によると…

 猪方小川塚古墳は、狛江古墳群のなかでは、横穴式石室墳(よこあなしきせきしつふん)がはじめて具体的に確認されたものです。
 墳丘は大部分が削平(さくへい)されていましたが、墳丘を取り巻く周溝(しゅうこう)は良好な状態で遺存(いぞん)しており、外径30m、内径22〜23mを測ります。石室の正面となる南側では周溝が途切れ、陸橋状となっています。周溝の規模から、本来の墳丘は径15〜20m程度と想定されます。
 石室は天井部を失っていますが、玄室(げんしつ)と前室(ぜんしつ)からなる複室構造(ふくしつこうぞう)です。玄室は、長さ2.7m、奥壁幅1.36mを測る長狭な長方形で、壁面は約1.2mほどの高さで遺存していました。前室は、長軸1.8m、幅1.1mほどの長方形で、本来はその手前に羨道(せんどう)、前庭部(ぜんていぶ)が備わっていたものと想定されます。
 石室の築造にあたっては、「唐尺」(1尺≒30cm)が利用されたと考えられ、玄室は、長さ9尺、幅4.5尺で、前室は、長さ6尺、幅4尺で築造されたものと考えられます。
 奥壁、側壁はともに泥岩(でいがん)による切石切組積み(きりいしきりくみづみ)で築造されており、切石表面には石室の構築や仕上げにともなう工具や調整の痕が観察できます。床面は、前室から玄室手前側には長楕円形の大礫(だいれき)が敷き詰められているのに対して、玄室奥側では泥岩の板石を敷いた上に小円礫(えんれき)が敷き詰められ、玄室を前後に区分する意図が窺えます。副葬品(ふくそうひん)の多くは、玄室から出土しました。
 また、残された墳丘の土層堆積状況からは、石室と墳丘の具体的な築造の方法・手順等を復元することが可能となりました。
 石室内からは、被葬者(ひそうしゃ)の頭部付近から2個1対の状態で金銅(こんどう)製の耳環(じかん)が、また被葬者の両脇に束ねられるようにして鉄鏃(てつぞく)が出土しています。鉄鏃の形態等から、この古墳は7世紀第2四半期頃に築造されたと想定されます。
 猪方小川塚古墳は、これまで5世紀半ばから6世紀半ばにかけて集中的に造営されたと考えられてきた狛江古墳群の造営時期について見直しを迫るもので、狛江古墳群の全体像、さらには多摩川中・下流域における横穴式石室墳の成立と展開や、7世紀における多摩川流域の地域社会の様相を考えるうえで、きわめて貴重な古墳といえます。

つまりこの猪方小川塚古墳は、狛江古墳群におけるこれまでの造営時期を考え直さなければいけないような大発見となったということですね!

そして実はこの猪方小川塚古墳は昭和35年(1960年)に当時の狛江町全域で行われた古墳の分布調査時に把握されたにもかかわらず、その後消失した古墳として扱われてしまっていたそうです。それが平成23年(2011年)宅地造成にともなう発掘調査の際に発見されたそうです。
一度は消失されたと思われていた古墳から重要な発見があったなんて、すごいですね~!

狛江市猪方小川塚古墳

なお、猪方小川塚古墳公園の開園時間は、
4月〜10月 9:00〜17:00
11月〜3月 9:00〜16:30
ということです。

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