狛江村誕生から狛江市誕生まで

明治22年(1889年)市制町村制の施行により、江戸時代から続く和泉村、猪方村、駒井村、岩戸村、覚東村、小足立村の6つの村が合併して狛江市の前身となる狛江村が誕生しました。
狛江村誕生時の戸数は425戸、人口は2207人でした。また役場は泉龍寺内に設けられたそうです。

当時は田んぼや畑が広がり、東京市中で消費される物資を供給する大都市の近郊農村であり、副業として養蚕が盛んに行われていたために桑畑も広がっていたそうです。

昭和の狛江

画像は昭和10年代の現在の多摩川住宅があるあたり、西和泉です。
現在の西和泉から調布市染地に千町耕地(せんちょうごうち)という広い耕地が広がっていました。

 

昭和の狛江

千町耕地はとても広大で、調布の向こうの府中まで見渡せたそうです。

昭和の狛江

千町耕地の脇に流れる根川はこのあたり一帯のハケ下の湧き水が集まる綺麗な川なので、『川戸』と呼ばれる農家の方々が野菜などを洗う場所がところどころにあったそうです。

明治26年(1893年)には、これまで神奈川県に属していた三多摩全域が東京府に編入され、東京府北多摩郡狛江村となりました。これは、東京市民の飲料水として重要な役割をはたしていた玉川上水の管理上の問題によるそうです。

狛江町制施行

昭和25年(1950年)に新築された村役場。※『狛江の発展と鉄道』より

狛江町制施行

町制施行式典。※『狛江の発展と鉄道』より

その後、戦時中の昭和18年(1943年)7月、「都制」が実施され、東京都北多摩郡狛江村となり、昭和27年(1952年)には人口が11,000人に達し、町制が施行され狛江町となりました。

そして昭和45年(1970年)に「市政」が施行され現在の東京都狛江市が誕生しました。

狛江市制施行
狛江市制施行

画像は狛江市制が施行されたときのパレードです。

狛江市制施行

ずいぶん賑やかですね!
当時の盛り上がりが伺えます♪
※記載のない画像はすべて『写真で見る昭和の狛江』より

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