土屋塚古墳

土屋塚古墳は『造出付円墳』と呼ばれる、円墳に小規模の造出(つくりだし)が敷設された古墳と考えられています。
古墳本体の直径は35.2m、高さ4.4m、また幅10.3m、深さ約2.1mの周溝も検出されていて、周溝を含めた全体の直径は55.8mとなるそうです。狛江古墳群のなかでは大型の古墳ですね。

狛江市土屋塚古墳

敷地内には鳥居があり、墳頂部には祠も祀られているそうですが、入り口のフェンスは施錠されていて立ち入ることは出来ません。なんでもマンションの住人の方のプライバシーを守るためだとか。

狛江市土屋塚古墳

昭和35年(1960年)に行われた古墳分布調査の際には、6世紀半ばの築造と考えられていましたが、平成16年(2004年)にマンション建設の為に行われた調査により、それより更に100年以上古い5世紀半ばに築造された可能性が高いことがわかったそうです。
これは多摩川流域で最大級を誇る5世紀半ば築造とされる野毛大塚古墳(全長82mの帆立貝式古墳)よりやや後の時期と推定されています。
また古墳の規模や発掘された埴輪の様式、文様などから当時の首長クラスの支配者のものであると推定されています。

狛江市土屋塚古墳

看板の説明によると…

狛江市指定文化財(市史跡) 土屋塚古墳
指定年月日:昭和61年1月4日
土屋塚古墳は、狛江古墳群のうち岩戸の地に残された数少ない古墳のひとつとして、また墳丘の遺存状態が良好な古墳として、昭和61年に市史跡に指定されました。
平成16年には、墳丘の南側から東側にかけて発掘調査が行われ、古墳築造の時期や当初の形態・規模が明らかになりました。直径33m、高さ4.5mを測る円墳で東側に造出部(つくりだしぶ)を有し、その外側に幅1.5mほどのテラスと幅10mほどの周溝(しゅうこう)が取り巻くことが判明しました。
周溝からは、もともと墳頂や墳端に並べられていた埴輪(はにわ)が、周溝内に転落した状態で出土しました。これら埴輪は、製作技法から上野(かみつけ:現在の群馬県)に拠点をおく工人集団が、この付近で採取される粘土で製作したものと考えられます。また、河内地方を起源とする装飾が施された朝顔型円筒埴輪や鳥付円筒埴輪なども出土しています。造出部付近からは、土師器(はじき)の大型壺、高坏(たかつき)などが出土しており、造出部で墓前祭祀(さいし)が行われたものと考えられます。
土屋塚古墳は、出土遺物から5世紀第3四半期頃に築造された古墳と考えられます。多摩川流域では5世紀に入ると、それまで古墳が築造されなかった野毛(のげ:世田谷区)の地に、野毛大塚古墳に代表される大型の帆立貝形古墳が築造されはじめます。これは畿内における王権の変遷と関連するものと考えられますが、狛江の地でも、野毛地区の動向と連動して、5世紀半ばから古墳の造営がはじまります。土屋塚古墳は、そのなかでも比較的早い時期に築造された古墳で、帆立貝形を模した造出部を有するなど、多摩川流域の古墳文化の動向や、当時の地域の諸関係を知るうえで大変貴重な古墳です。
平成27年3月 狛江市教育委員会
狛江市土屋塚古墳

狛江の古墳は、比較的大型のものが多く、周辺の地域よりも有力な豪族が多かったとみられ、こうした豪族が結束した力は大きく、この一帯の政治状勢を左右する力があったのではないかと考えられているそうです。

狛江市土屋塚古墳

土屋塚古墳は平成26年(2014年)に個人所有であった墳丘の西側の半分の土地が寄付され、現在は狛江市の市有地となり、いずれは古墳公園として整備、公開される予定だそうです。
楽しみですね!

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