三角塚古墳(橋北塚古墳)

三角塚古墳(みすみづかこふん)は以前は橋北塚古墳と呼ばれていたそうです。
昭和35年(1960年)の狛江狛江古墳群分布調査時には東西径22m、南北径21m、高さ2.85〜3mの墳丘が確認されていたそうですが、平成29年(2017年)にこの地に保育園が設立されました。

狛江市三角塚古墳(橋北塚古墳)

保育園の周りは塀で囲われているために、中の様子を覗うことはできませんが、現在は保育園の園庭に子どもたちの遊び場として墳丘の一部が残されているようです。

狛江市三角塚古墳(橋北塚古墳)

その塀には小さな看板が設置されていました。

看板の説明によると…

三角塚園庭(みすみづかえんてい)
三角塚古墳(みすみづかこふん)〈橋北塚古墳(はしきたづかこふん〉
狛江には、5世紀の半ばから6世紀の半ばにかけて、60〜70基ほどの古墳が 築造されたと考えられ、橋北塚古墳(三角塚古墳)も6世紀前半に築造された古墳 であると考えられています。
 この古墳には、墳丘(ふんきゅう)に葺石(ふきいし)はなく、埴輪(はにわ)も 確認されていませんが、平成2年の調査において、古墳を取り巻く周溝(しゅうこう) の一部が確認されています。墳頂(ふんちょう)付近に円礫(えんれき)が集中して 残されていることが確認され、古墳の主体部は、木棺(もっかん)のまわりを挙大ほどの丸い石を集めて覆った礫槨(れきかく)であったと考えられています。

狛江市三角塚古墳(橋北塚古墳)

残された墳丘には主体部が保存されているそうです。また保育園の地下には周溝も保存されているそうです。
古墳は、公園として整備、保存されるのが最も望ましい形かもしれませんが、園児たちの遊び場として活用されるというのも、個人的には微笑ましく感じてしまいます。

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