肝心の銀行はなくなっていしまいましたが、関東大震災を挟んで銀行町は急速な発展を迎えていきます。
昭和2年(1927年)小田原急行鉄道(現 小田急線)が新宿〜小田原間で開業し狛江駅も誕生。同じ年に現在の世田谷通りと狛江通りが開通します。
また世田谷乗合自動車が三軒茶屋〜国領間でバスの運行をはじめます。
この頃、銀行町に東陽倶楽部という芝居小屋ができました。
小屋と言っても本格的な2階建ての建物で舞台も広かったようです。1階席は板の間にむしろを敷き、2階にも観覧席があり、300人ほどが入ることもあったそうです。
旅役者の田舎芝居、義太夫、浪花節、喜劇、奇術、催眠術、大歌舞伎や映画まで月に2〜3の出し物が入れ替わり興行されました。
入場料は大人30銭、子供15銭で、狛江内はもちろん、狛江以外からも見物客が集まったそうです。
また、ときには二子や調布から芸者を呼ぶ宴があったりしたそうです。客筋は狛江だけでなく砧、喜多見、入間、深大寺、登戸などからも集まりました。当時は農家がほとんどで嫁不足だったので、銀行町に通いやがて所帯を持った人は大勢あり、村の活力をたかめたそうです。土地の人との縁結びが、この盛り場の特色とも言えそうですね。