5世紀の半ば頃から、大和朝廷の統一が進められ、近畿地方を中心にたくさんの大きな古墳が築かれていきました。
その頃、狛江を中心とした多摩川流域にも多くの古墳が築かれました。
その多くは多摩川を眺められる段丘の上にあります。
狛江古墳群は南武蔵でも有数の古墳群であり、特にその分布範囲は、他の古墳群には見られないほど広範囲なものです。
大きく和泉、猪方、岩戸の3地区に分かれる狛江古墳群は、『狛江百塚』と呼ばれていたように、当初は大小合わせてその数200基以上とも言われていたそうですが、昭和35年(1960年)に行われた調査時に確認できたのは18基ということでした。