その塀には小さな看板が設置されていました。
看板の説明によると…
三角塚園庭(みすみづかえんてい)
三角塚古墳(みすみづかこふん)〈橋北塚古墳(はしきたづかこふん〉
狛江には、5世紀の半ばから6世紀の半ばにかけて、60〜70基ほどの古墳が 築造されたと考えられ、橋北塚古墳(三角塚古墳)も6世紀前半に築造された古墳 であると考えられています。
この古墳には、墳丘(ふんきゅう)に葺石(ふきいし)はなく、埴輪(はにわ)も 確認されていませんが、平成2年の調査において、古墳を取り巻く周溝(しゅうこう) の一部が確認されています。墳頂(ふんちょう)付近に円礫(えんれき)が集中して 残されていることが確認され、古墳の主体部は、木棺(もっかん)のまわりを挙大ほどの丸い石を集めて覆った礫槨(れきかく)であったと考えられています。